事務所名
原建築設計研究所
プロフィール
・1952年生まれ、血液型O型、水瓶座。
・徳島工業高校建築科卒。
・藤木工務店大阪本店、卓建築事務所を経て独立。
・一級建築士。
わたしのモットー
無事是貴人
(ぶじこれきにん)
自分の作風
連綿と受け継がれてきた日本人のDNAが為せる技なのか、数多の人々がいつかは侘び寂びを彷彿させる日本建築に惹かれるのではないでしょうか。
私自身も日本人として生を受け「日本の美の虜」となり、建築家の使命としてこの和の建築文化を継承し、そして守り育てなければならないと感じています。
勿論、時代の変遷とともに、その時代を反映した日本建築の姿を創出する事は、その時代を生きる我々にとって大きな責務でもあります。
私は、その重責に応えるためにも日々攻究研鑽し、本物の上質な日本建築を追求しています。
未だまだ道半ばでは有りますが、今後も少しずつ前進しようと思っています。
ところで余談ですが、私は無類の猫好きなので、一度猫大好きの方と猫と共存できる理想建築をご提案したいな、と思っています。そんな機会が訪れることを楽しみにしています。
家づくりの考え方
一般的に、建築は新築された完成時が一番美しいと思っていませんか?
時間の経過とともにペンキの塗替え等は必須、あちらこちらが傷み出し、挙句にみすぼらしくなって、観るも無残な姿になるのは仕方がないと諦めていらっしゃいませんか?
私の考える建築は違います。
私の目指している建築は完成時に美しいのは当然ですが、10年20年と歳月を重ねても色褪せない、むしろ味わいや趣きを醸し出す建築でなくてはならないと考えています。
その為、私は建築デザインを極限まで突き詰め、使用材料等を吟味し、一流の職人さん達の手を経る事で、その時代を反映した最高峰の建築を創出したいと考えています。
本物の建築は決して色褪せません。
その様な住宅造りの姿勢をご理解頂けるクライアントに出会える事を願ってやみません。
私の原点
母校・阿川中学校の体育館
私が建築設計の道を生涯の仕事としたのは中学3年生の強烈な印象にあります。
当時、中学校(特に田舎の場合)では屋内運動場が未整備で、建設ラッシュを迎えていました。我が母校でも、町当局が私達の卒業式に間に合わせようと計画が進められ、翌年春竣工予定で建設工事は進行していました。
そんな最中、私は校庭の一角で建設工事が進められている様子をそれとなく観ていたのですが、なにもない敷地に突如大勢の人達がやって来て、夫々の人が夫々の仕事に全精力を傾注して、一つの目的を完遂する・・・なんと素晴らしい仕事だろう、と思ったものでした。
無から有を生み出す仕事! そして、ヒトがこの世に存在し続ける限り絶対に絶えることのない仕事、これぞ建築家への道・・・私の進路が決まった瞬間でした。
余談ですが、何か記念の標しを残そう、と卒業生達で正面外壁にお気に入りの自然石を貼り付けたのですが、今もそれを見る度に当時の想いが蘇ってきます。